東ティモールについて
ティモール島をインドネシアと二分した東側に位置しています。
約450年間、ポルトガルやインドネシアの支配下で苦しみましたが、2002年に独立を果たしました。
独立は得たものの、経済的には苦しく国際的にも貧困対策が必要な国の一つとされています。また、1,000人当たりの5歳未満児死亡率が46人※(日本 2人)と、乳幼児の死は未だに日日常的で、衛生面の悪さや不十分な医療・栄養不足などの問題を抱えています。
基本情報
首都 | ディリ |
---|---|
面積 | 約14,900㎢ |
人口 | 約126.1万人 (2018年 推定値) |
言語 | 公用語はテトゥン語およびポルトガル語 |
産業 | 農業・石油・天然ガス |
時差 | 日本との時差はありません |
宗教 | 99%がカットリック教徒 |
通貨 | 米ドル、但し1米ドル以下は独自の「センタボ(centavo)」貨使用 |
独立への歴史
16世紀からポルトガルの植民地となり、そこから長い占領下の時代に入ります。途中第二次世界大戦下の1942年には、日本軍による対オーストラリアの最前線として、ティモール島を占領しました。1945年の日本敗戦を機に日本軍は島から撤退しますが、そこから再びポルトガルの支配が復活します。1975年にはインドネシア軍による全面侵攻を受け、1976年7月インドネシア政府が「東ティモールを27番目の州とする」併合宣言を行いました。インドネシア侵略への抵抗運動やゲリラ運動に対して、虐殺や拷問など非人道的な激しい弾圧を受け続け、多くの国民が命を落としました。国民の4分の1〜3分の1が 亡くなったとも言われています。この侵略を非難する決議が国連総会で採択されたものの、日本を含む西側有力諸国は、インドネシアとの関係を重視し、事実上黙認していました。
1998年に入り、インドネシアの民主化運動により、スハルト政権が崩壊したことを機に、東ティモール独立の兆しが見え始めます。そして1999年の住民投票を経て、2002年5月20日、正式に独立国家となりました。「アジアで最も若い国」「21世紀最初の独立国家」とも言われています。